VR臨終

VR臨終

第四の消費

三浦 展「永続孤独社会」からの学び。

この本は、2012年刊行の「第四の消費」から10年後の経過と、

コロナによる、第四の消費への影響を論じている。

 

第四の消費とは、主として「所有からシェアへ」という消費の変化であり、

私有よりも、エアビー・ウーバーに代表されるシェアやレンタル、

そして「コミュニティを重視する時代がくる」と主張する。

 

第五の消費は、メタバース?

この本の中で、以下の記述が気になった。

メタバースから生まれる消費・生活が第五の消費社会なのかもしれない

メタバース上でシェアとケアがある程度できる可能性もある、そのほうが好きだとか、むしろ孤独も感じないですむという人も増えるだろう

シェアはわからないが、ケア・コミュニティはあると思う。

でもメタバースだろうが、現実社会だろうが、

コミュニティとのかかわりは、避けられない。

メタバースは、現実社会と比べて、

容姿・性別・年齢などが、ある程度コントロールできるので、

好きな自分に変わることで、自信が持てるようになり、

現実のしがらみを断ち切れるので、他者と関わりやすくなるとは思う。

 

マトリクスの世界で死ねたら

メタバースの中に没入しながら、点滴で栄養補給し、排泄も体内から管で出しても、快適に生きられるようになるかもしれない

映画「マトリクス」に影響された、世界観だと思う。

マトリクスの世界は、容姿・地位・職業など、自分で選べないのが嫌だが、

これが自分でデザインできれば、メタバースで死にたい。

死んだら、寝ていたカプセルの液体が溶解液に代わって、

全身が溶けて、はいさよなら!って感じで、

誰にも迷惑かけずに、機械に処理してもらえるのが素晴らしい。

だが自分が生きている間は、ここまでの進化はないだろう。

VRゴーグルをしたまま、メタバースで死ぬ「VR臨終」

そして死ぬ間際にも、メタバース内で知り合ったアバターたちに看取られながら、死ぬのかもしれない

メタバースで知り合ったアバターたちに看取られる、

素晴らしいのだが、これから死ぬってタイミングがわからないし、

わかるとして、「これから死ぬから、みんな集まって!」と言えるだろうか?

VRゴーグルをしたまま、メタバースで眠る「VR睡眠」というのがある、

これと似たものとして「VR臨終」はあるかもしれない。

病室や、闘病した自室など、見たくもない現実でなく、

自分が選んだ、美しいメタバース空間で死ぬ。

この死に方いいなぁ~。

VR睡眠は、友達と一緒にやるみたいだが、

VR臨終は、そうもいかない、一人でやるだろう。

しかし、誰にも看取られないので、腐乱死体のリスクがある。

定期的にメタバースで、会合に参加して、

そのメンバーに、2回連続で連絡がなかったら通報してと頼めば、

うまくいけば腐乱する前に、見つけてもらえそう。

 

VR臨終に興味あるが、
お試しできないのが残念だ

単独おじさん
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