あなたはどこで死にたいですか?
小島 美里 「あなたはどこで死にたいですか?」 からの学び。
この本は、85歳を過ぎると4割、90歳を過ぎると6割の人が、
認知症になると言われる超高齢社会で、認知症になることを前提に、
安心して最期を迎えるために必要なサービス、リアルな介護費用、
介護保険制度の限界と、福祉の今後について書かれている。


やっぱ甘くない
上野 千鶴子 「在宅ひとり死のススメ」 から、
認知症は怖い、でも対処法はあると希望を持ったのですが、
それはあるていど自立して生活できる、軽度認知症の場合で、
そんなに甘くないですよ、という現実を教えてもらいました。
重度の認知症で、「在宅ひとり死」するには、
介護の頻繁な手助けが必要で、そのためにはお金が必要とのこと。
重度の認知症にならないようにするか、十分な資産をもつかの二択です。
上野氏の本で、いい気分になったけど、やっぱりという感じ。
この本を読まなかったら、「大丈夫っしょ!」と暢気に構えてました。
介護保険制度は危機的で、制度改革の必要性を訴えているのは両者とも同じ。
備えがなくて「在宅ひとり死」は無理だなと、改めて気を引き締めました。
上野氏が結婚されたのも、危機感の表れなのでしょう。




認知症で一人暮らしは程度による
問題行動と呼ばれる症状にはすべて「からくり」があり、その原因をつくる誰かが周辺にいるということです。
独居の認知症患者さんは、「からくり」が発動しない環境にいることになります。
一人暮らしの認知症の人のBPSD(行動・心理症状)は軽い印象がある。
上野 千鶴子 「在宅ひとり死のススメ」
認知症患者が、自ら入院を希望することはなく、
ほとんどが、手に負えなくなった家族の都合で施設にいれます。
「認知症のある人は一人の方が機嫌がいい」と言う人がいます。
しかし、ずっと現場を見てきた者とすれば、これは違います。
家族といる方がいいとも、一人でいる方がいいとも言えない。
私は今、一人暮らしをしていて、快適です。
でも、認知症になったらどうでしょうか。
ひどい施設の問題を別にすれば、いつも誰かがいて、人に守られていることを、
超高齢期や認知症になったときに否定すべきではないと思います。
自宅がいいと思い込んではいけない。
施設を嫌がるのは、施設に入る安心感を知らないからかもしれないのです。
小島 美里 「あなたはどこで死にたいですか?」
一人暮らしは気ままで快適ですが、自立して生活できなくなったら無理ゲー。
かたくなに「在宅ひとり死」に拘るのは愚かと理解しました。
上野氏の主張は、目指すべきゴールですが、
所詮、認知症の程度が軽い場合の話、
重度の認知症になったら、諦めなきゃダメみたいです。
自宅でなきゃ嫌だと思っているから、施設に入ると暴れてしまう。
「一人暮らし」に意固地にならず、普段から柔軟な考えを持つべきかと。
森田 洋之 「うらやましい孤独死」では、
重度の認知症でも、「在宅ひとり死」を達成した例が紹介されてます。
しかし長年にわたり同じ土地に住み、
ご近所さんとコミュニケーションが、とれているからできること、
都会暮らしでは、まず望めないでしょう。


日常生活自立度(認知症自立度)Ⅲの壁
認知症者が独居の在宅で暮らせるか?
生活習慣が維持できなくなっても、訪問介護に入ってもらえれば食事も入浴もできます。
寝たきりになったりしたら、認知症があろうがなかろうが、ケアは同じです。
実際、そうやって独居の認知症の高齢者を、在宅のまま見送ったという事例も耳にするようになりました。
上野 千鶴子 「在宅ひとり死のススメ」
一人暮らしのほうがマシであっても、果たして認知症で一人暮らしできるのか?
それは可能だと、上野氏は説いています。
しかし孤独を貫くのは難しそうで、現行の医療・介護制度を利用することで、
一人暮らしを続けることができます。
寝たきりで、自立して生きられなくなった時は、
認知症でもそうでなくても、受ける介護は同じなので、
認知症は関係なくなるとのこと。
実際問題として、進んだ認知症のある人が自宅で暮らして自宅で死ぬのは、制約の多い今の介護保険制度では、ほぼ不可能と言わざるを得ません。
頻回の訪問介護が必要ですが、それが認められないのです。
お金があって介護保険外のサービスを自費で使えれば可能かと言えば、それもわかりません。
在宅生活に欠かせない訪問介護を担うヘルバーが、絶滅寸前だからです。
介護サービスを使いながら家で一人暮らしを続けて来た人も、やがてそれが不可能になるときがきます。
介護関係者の間では、「認知症高齢者の日常生活自立度(認知症自立度)Ⅲ以上で、一人暮らしをしている人はいない」と言われている。
小島 美里 「あなたはどこで死にたいですか?」
日常生活自立度(認知症自立度)Ⅲ以上になると、「在宅ひとり死」は無理、
「もう一人暮らしは無理だな」とわかるときとは、
- 食事が自分で摂れなくなった。
- 火の始末ができなくなった。
- 近隣との関係が悪化した。
- ショートステイを頻繁に利用するようになった。
- 「徘徊」で、家を出て帰って来られない、たびたび保護される。
- 排泄の管理ができない。
- 同居家族の疲労が、デイサービスなどでは、解消されない。
だそうです、確かにどれも重症ですね。
上野氏の主張は、これらのことが自分でできる前提のようです。
介護保険があっても、お金は必要
小規模多機能は、在宅生活を支えるためのサービスですが、介護保険上は「地域密着型サービ ス」に分類されています。認知症のある人の在宅生活を支える切り札とされ、「自宅に二四時間・三六五日の安心を届ける」と謳われました。しかし、これは幻想です。
一ヶ月の生活援助が九〇回。この回数を、あなたはどう感じますか? おそらく、多いと感じたのではないでしょうか。一ヶ月に九〇回とは、一日三回です。
認知症のある人は、食べ物が目の前にあるだけでは、食べられないことがあります。
食事は自分で食べられたとしても、自分一人で薬を飲んだり、トイレに行ったりできない人もいます。
食事をすれば薬を飲まなければなりませんし、食べればトイレにも行きたくなりますが、一日一回の訪問では対処できません。一日三回は決して多くはないのです。
小島 美里 「あなたはどこで死にたいですか?」
食事がとれない認知症患者は、食事のたびに生活援助が必要だし、
それ以外に、投薬やトイレの始末などのお世話があり、
一日3回の生活援助でも、決して多くない、
つまりそれだけお金がかかるということですね。
お金があっても、十分な支援がえられない?
保険料を払っているのに、利用料が高くて介護サービスを使えない。
介護保険は〝黒字”なのに、サービスが抑制され続けている。
有効求人倍率四八倍! 訪問介護の絶滅は秒読みに入った。
小島 美里 「あなたはどこで死にたいですか?」
国の財政がひっ迫しているために、介護に十分なお金が回ってきません。
そのため介護保険料が値上げし、利用料が上がってます。
そして介護保険でカバーされるサービスが、抑制されます。
初期から最期までケアできる、訪問介護の人材確保が難しくなってます。
大手介護事業者に人や金が集まり、小規模事業者は経営が苦しくなります。
大手介護事業者は効率化のため、手間のかかる訪問介護を切り捨てようとします。
介護の環境は、日に日に悪くなっていくだろうとのこと。
今の世代は逃げ切れても、自分の世代は無理でしょうねえ。
重度の認知症でも、一人暮らしができるのは、
介護保険がなくても、構わないくらいの資産をもつか、
認知症になっても、自立できる程度であるかですね。
認知症は、なったら終わり?
ほしいのは認知症を怖がる社会ではなく、認知症になっても安心して生きていける社会。
自分だけ認知症にならないようにあくせく努力するくらいなら、
そのエネルギーを「安心して認知症になれる社会」をつくるために使ってもらいたい。
・・・「みんな将来は認知症になるんだ」それを前提に、「認知症になってもよい」ではなく、
「認知症になってよい」社会へ。さらにそれを前提に「認知症にそなえる社会へ」。
上野 千鶴子 「在宅ひとり死のススメ」
認知症の診断基準を作成した医師が、認知症になったのは有名な話で、
認知症に詳しくても・備えていても、誰でもなってしまう可能性があります。
避けることができないなら、認知症でも生活できる社会を作って、
認知症を避けるために使っているコストを、無くした方が、
自分にもメリットがあるのでは、という指摘です。
小島氏も介護保険制度は、制度改革が必要であると述べています。
「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」という、
インドのことわざを拝借して、
「お前も認知症になるのだから、人のことも許してあげなさい」
な社会があれば、少し気が楽になります。
しかし日本社会は、逆の方向に向かっているような気がします。








認知症は、個人で避けるよりも
社会で受け入れた方が、リーズナブル
認知症で「在宅ひとり死」は場合による
単独おじさん